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歳時記

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2016年3月

2016年3月31日 (木)

【1621】わすれもの

わたしは、自分でも恥ずかしいと思う、「忘れん坊」だ。登山するのに登山靴を忘れて集合場所にいき、さあ出発というとき気がついて、仲間に迷惑をかけたことがある。

そういう自分を自覚しているから、忘れ物をしないように気を付けている。たとえば、持っていくチェックリストを作って冷蔵庫の扉に貼っておくとか、玄関の目に付くところに置いておくとか。

それでも忘れるときは忘れるらしい。

先日の屋久島行、忘れてはならないものは、航空機のチケット、お金、運転免許証。あとは何とかなりそうと思った。何度も確かめてスーツケースとリュックサックに荷物を詰めた。リュックサックは手荷物として機内持ち込みを予定して貴重品を入れた。

当日の朝、戸締り、火の元と点検して、少し余裕を持って車を出した。駅が見えてきた時、「あれっ?リュックはどこに入れた?」と、車内を見るとどこにもない。リュックがない。一番大事なものが入っているリュックが・・・・・!sweat01

一気に血が引いた。すぐUターンできないもどかしさ。のんびり走ってきた道を、焦りながら引き返す。「焦っちゃ事故だ」と言い聞かせつつも、イライラト信号待ち。余裕を持って出た分では、家までの往復は出来そうにない。

やっと家について玄関を開けると、リュックがつくねんと待っていた。どうしてこの大きな荷物が目に入らなかったのか。

結局、予定より一本あとの電車に乗ることができた。飛行機の搭乗手続きに間に合うぎりぎりの電車だった。電車に乗っている間、そして空港バスの乗り換え、バスに乗っている間、ずっと、「事故がありませんように、予定通りのバスに乗れますように、スムーズに運航しますように」と祈り続けた。苦しい時の神頼みだ。神様もあきれておられただろうが、罰も下りず、無事空港に到着することができた。

ありえないような忘れ物で、ハラハラドキドキの出発で始まった屋久島旅行、その後もあり得ないようなアクシデントがありましたが、ともかく宮之浦岳に登り無事帰宅することができました。

恥ずかしいドジなので、もっと小さい文字の方が良かったかもしれません。

2016年3月28日 (月)

【1620】宮之浦岳登山

宮之浦岳 1,936m 鹿児島県屋久島町
日程:2016-03-24 天候:雨後晴 メンバー:私とガイドさん
コース : 淀川登山口(6:00)⇒淀川小屋(6:50)⇒花之江河(8:25)⇒投げ石平(9:13)⇒宮之浦岳(11:02)⇒投げ石平(13:05)⇒花之江河(13:54)⇒淀川小屋(15:25)⇒淀川登山口(16:15)

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登山可能な24日、25日のうち、天候の良い方を宮之浦岳登山にしようと思っていたが、あいにく両方とも雨マーク入りの曇りで、どちらとも決めかねていた。おかげで、ガイドを予約せず屋久島入りをしてしまうことになった。

屋久島に着くと早速、観光案内所で、ガイドが依頼できないか聞いてみた。ツアーが組まれていれば、そこへ入れてもらえるのだが、あいにくその予定はない。「一人で宮之浦ねえ、こういうのが一番困るのよ」と言いつつ、何か所か電話をかけてくださったが、ガイドができる人は見つからない。「今連絡が取れなかったところで、もしかしたら頼めるかもしれないから、夕方まで待ってみるというのはどうかしら」と言われ、『もしかしたら』を期待して、案内所を後にした。

最悪、単独登山を覚悟して、夕方までの時間を島内ドライブしていると、携帯電話が鳴った。知らない番号から、男の人の声。不信な気持ちは間もなく、歓喜へ変わった。「明日でも明後日でも空いています。」 ワオ~lovely しかも一人なのに思いがけず安い。明日の方が暖かそうだからと言われ、翌日を宮之浦岳登山の日と決める。

朝5時の予定よりすこし早く玄関に出てみると、もう車が止まっていた。さっそく乗せてもらって淀川登山口に向かう。初めはセンターラインのある広い道だったが、高度があがるにつれてだんだん狭くなってくる。こんな道、自分で運転するのではなくてよかったと思わずにはおれない。屋久杉自然館では、荒川登山口へ向かうバスを待つ人の列ができていた。さらに高度を上げ、屋久杉ランドを過ぎ、1時間かけて淀川登山口(1,360m)に到着。

駐車場はあまり広くなく、すでに5台ほどが駐車。細い雨が降っているので、雨具は上だけつける。トイレ、準備体操を済ませ出発。(6:00)

ヘッドライトを付ける。スタートは登り階段から。登ったり下ったりするが、暗いのと緊張であまり記憶がない。少しずつ、あたりが明るくなり、鳥の声が聞こえ始める。ここからが「世界遺産の地域に入ります」と説明を受けたのも、どのあたりだったか。

 囀りや夜の領分の終わりけり  あおめ

いくつ目かの下りで、淀川小屋に到着。(6:45)ここで朝食をとる。もうヘッドランプ入らない。雨が止んだようなので、雨具も脱ぐ。外国人登山者が、休憩なしでさっさと通過。私たちも出発。(6:55)

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淀川の橋を渡る。水がきれいそうだ。明るくなるにつれて、杉の大木、枯れた杉、苔むした杉、寄生する植物など目に付くようになる。杉のほかに、大木のヒメシャラやツガの木を教えてもらう。

木々の間から、トーフ岩をちょっぴり見て(7:41)、さらに10分あまり進むと、高盤岳の頂上の奇岩がはっきり見える。よくもまあ、こんな形になって崩れもしないであるものだと驚いてしまう。しかも小さく見えるが、切れ者隙間を人が通れるというから驚きだ。この後も続々、巨大な岩を見ることになる。

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湿地の小花之江河では、初めてシカに出会う。(8:14) 湿地の苔を食べていて、人の姿を見ても我関せずと食べ続けている。ここのシカやサルは、人を怖がらないそうだ。

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花之江河に到着(8:25)。小花之江河の3~4倍ありそうだ。湿地の花はまだ見られない。修学旅行の下見という、高校の先生に出会う。行先は黒味岳(1831m)とか。花之江河から20分ほど進んで、黒味岳への分岐で別れた。

ガイドさんが、所々で立ち止まって説明してくれるので、それが休憩になって、休憩としてはほとんどしないで進んだ。投げ石平の手前は急登で、ロープ場、梯子もある。数メートルの大きな岩を、ロープでよじ登り、梯子で乗り越えていくわけだ。

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投げ石平につくころ(9:13)には、だんだん雲が流れて、青空が見え始める。投げ石平を上から見ると、巨大なカバがうずくまっているみたい。投げ石岳を見上げると、斜面は巨岩だらけだ。

黒味岳を見ると、頂上の巨岩の横に、人影が見える。先ほど分かれた二人のようだ。しばらく登って、また黒味岳を見ると(9:30)、今度は岩の上に立っている。人が30人ぐらい立てるとか。私も行ってみたいと思う。

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最後の水場で休憩。ガイドさんはここで、昼食の水をゲット。朝、淀川小屋で休まずに先に行った外国人のペアーが、もう下山。速いなあ・・・

翁岳の頂上の岩の重なりも、不思議なバランス。信仰の山としてかって人が通っていた跡が、笹の中に線となって残っている。

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栗生岳の頂上には巨岩が起立。デカイ!

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宮之浦岳は、栗生岳の向こうと聞いたときは、あの山を越え、また下って登るのかと思ったが、心配することはなかった。水平に近い下りを経て、宮之浦岳へ最後の登りにかかる。

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案ずるほどの急登もなく、頂上到着。(11:02)

空は青く、開聞岳がうっすらと浮かんで見える。目の前に永田岳が悠々と控えている。

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 春霞空に浮くかに開聞岳  あおめ

一等三角点が、なぜかどっしり感じられる。他の登山者は数名。荒川登山口からの人もいるようだ。岩かげで昼食とする。ガイドさんが、先ほどの水で湯を沸かしてくれて、熱い味噌汁がおいしい。

(11:40)下山開始。やはり下りは足が軽い。しかし膝の保護のため、ストックを使うことにする。水場では、山の記念に水を少し持ち帰ることに。投げ石平まで来て、休憩。家から持ってきた蓬大福がやたらと美味しい。

順調に歩き、淀川小屋まで下る。朝、薄暗い中で見たのと違って、淀川の澄んだ流れがよくわかる。小屋で休憩。

登りは、薄暗い中を来たので、まわりの景色が初めてのように感じられる。「屋久杉」とは呼んでもらえない樹齢何百年の杉も、ツガの大木も、堂々としていて素晴らしい。

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淀川登山口に到着(16:15)すると、車の数は少なくなっていた。車での帰路、紀元杉に立ち寄ってもらった。屋久杉は凄い!

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私にとって初めてのガイド付き登山。歩く速度を調整してもらったおかげだろうか、ほとんど疲れを感じなかった。登山日も、ガイドさんの勧めに従って、24日にしたおかげで、青空の宮之浦岳になった。(翌日は一日雨だった。)ガイドさん、感謝感謝です。

2016年3月21日 (月)

【1619】横山岳残雪登山

横山岳 1131.7m 長浜市北部
日程:2016-03-21 天候:晴れ メンバー:浅井山の会18名
コース:東峰登山口(8:20)⇒(10:30)東峰(11:00)⇒東峰登山口(12:30)

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三度目の正直・・・毎年3月に予定されていた横山岳の登山は、残雪が多くて流れてしまっていたが、暖冬の今年、とうとう実行となった。

杉の集落から網谷林道に入り、夜這い橋の近くまで車で上がった。夜這い橋手前の分岐を右にとり、しばらく登ると「東峰登山口」の大きな看板が目に付く。

登りはじめから、急登、急登。尾根に出てもやはり急登。杉の植林地帯はすぐに終わって、ブナの原生林。厚く積もった落ち葉に、日が降り注いでいるが、風が冷たい。ブナの芽吹きはまだ少し先のようだ。所々にダンコウバイの黄色い花が咲いていた。

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登山道が雪に覆われだしたのは、金居原登山口への分岐を過ぎて間もなく。スノーシューもアイゼンも付けずに進む。時々雪を踏み抜いて、足が埋まってしまうが、何とか雪の上を歩くことができた。

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木の根の周りから雪が融け、そこのイワカガミなどの葉が広がりはじめていた。あとひとつきもすると、このあたりはピンクの絨毯を敷いたようになる。

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頂上
近くの稜線に立つと、右に残雪の山、左に余呉湖や琵琶湖が見えた。日差しはあるのに風が強く冷たい。一度脱いだ上着を、また着る。

最後の雪の急登を登って、東峰到着。予定よりかなり早くついてしまった。

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手前の美濃の山のさらに向こうに。真っ白の峯が見える。御嶽山や、乗鞍岳も見えているようだ。

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早めの昼食後、早々と下山。風が強いので寒くってたまらない。帰りの雪はさらに緩んで、何度も足を埋まらせながら下山した。金糞岳は、いつも見ている裏側(北)が見えたが、やはり雪が多く見えた。

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2016年3月20日 (日)

【1618】こわ餅 & こごめ

先日、山野草を見に行ったとき、道の駅で「こわもち」なるものが売っていた。「こわもち」ってなんだ?

「こわめし」は知っている。もち米を蒸したもので、「赤飯」を、そう呼んでいた。見たところ、普通の餅のように見えるが…。

と、一緒にいた福井の友人が、「こごめ」のことよという。こごめ??山菜として採る「コゴミ」なら知っているが、これまた初めて聞く名前。

もち米にうるち米を混ぜて搗くのだそうだ。ふ~~んと唸っていると、「今日、お土産に買って来たから、あとであげるよ」と、友が言う。

頂いた「よもぎこごめ」はこれ

P1120096よく見ると、ブツブツが見える。これはうるち米なのだろう。

餅ほどは伸びないけれど、米の粒粒が不思議な感触だとか、キナコを付けて食べるといいとか教えてもらう。正月用は普通の餅で、年が変わってから搗くのはこの「こごめ」とか。

帰宅して。「こごめ」を焼きながら、ネット検索。あまり多くはヒットしないが、「こごめ」という呼び方はやはり福井のものらしい。

私の勝手な推測だが。「小米」から来た名前ではないのだろうか。売り物にならない砕けた米(小米)の利用と、もち米の倹約のために考えられた餅なのではないだろうか。

焼けた餅を食べると、ヨモギの風味がいっぱい口の中に広がり、もちもちとした感触がよかった。結局、何もつけないでおいしく頂いた。

2016年3月19日 (土)

【1617】妖精の里again

2月に訪れた妖精の里を、友人と再訪。あの時は、セツブンソウはいい感じだったが、他の花はあまり見られなかった。今回は・・・

いつもの駐車場は、満車状態。やむを得ず、さらに先まで進んで集落の集会所的な建物の前に停めた。歩いてセツブンソウの群生地に向かっているとき、犬を散歩中のおじさんに出会った。「あそこはもうだめだ。きのうまだ咲いていたとこを教えてあげっから」と案内してくれた。

前から知っていた杉の植林の場所は、もう花が終わっていたが、その上の雑木林には、まだ花が残っていた。これではるばる福井から来てくれた友人も、これで満足してもらえるかな。そこはミスミソウも混在していて、素晴らしいお花畑だった。

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この花畑を見下ろしながら、昼食を取った。あとからやってきたカメラマン?一行が、盛んにシャッターを切っていた。人家のそばの群生地も覗いてみたが、見事に花が終わっていた。

その後隣り集落の、キクザキイチゲの群落を見に行った。花はいっぱいついていたものの、曇天のため花の開きが良くなかった。ここでは、ニリンソウも見ることができた。イチリンソウの咲いているところもあるらしいが、見つけることができなかった。

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そのほかに、ヤマエンゴサク、キバナアマナ、ミヤマカタバミ、ワサビ、など見ることができた。民家の庭のサンシュウユも満開に近かった。

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2016年3月16日 (水)

【1616】バイオリズム低下

事の起こりは、牛乳パックを開く作業をしていた時、ハサミで自分の中指を切ってしまったこと。

翌日、不自由な指を使ってカッターナイフで紙を切っていたら、小指を切った。前日切った指を保護してはいていた手袋の上から。

さらに翌日、風邪をひいたらしい感じ。いつものように「葛根湯」を飲みながら仕事に行く。どうも調子が悪い。仕事のない時間は、ひたすら眠る。葛根湯がなくなってもまだ治らない。しかたがないから薬箱をごそごそやって、パブロンを見つけて飲んだ。

ようやく風邪も収拾かなと思った頃、親戚に不幸。田舎の葬式というのは、やたらと人が集まって、人が集まれば食事を出さねばならない。葬式関連3日間、慣れない親戚でひたすらご飯作り。

その上、合間に夜の12時帰宅という遠出をして、体力限界かなと自問。

やっと葬式が終わって、孫の顔を見に行くと「溶連菌感染症」だとか。だけどわりに元気なものだから、1時間ばかり遊んで帰る。

あいだ一日おいて、午後、急に喉が腫れて痛くなってきた。もしや?とネットで調べてみると、溶連菌感染症の症状。日曜日、救急に行くこともなかろうと、寝ることにするが・・・・眠れない。のどが痛く、つばも飲み込めない。

月曜日、診療所へ行く。体温38.5℃、さすがつらい。てっとり早く溶連菌の疑いがあると自己申告。検査の結果当たり。抗生物質と頓服と処方してもらって、ひたすら眠る。

抗生物質を飲みだして3日目、回復してきたなあと実感。

は~~長かったなあ、今ようやく体力も戻ってきて、たまりにたまった家事を、ぼちぼち方付けることに。

2016年3月 5日 (土)

【1615】観音寺城址

近江歴史探訪「近江の城郭」の第5回は、観音寺城でした。前回の、佐和山城攻めの城「物生山城」の講義で、「近江の中世は、佐々木六角氏の時代であった」という話を聞きました。今回は、その六角氏の城跡です。

城跡探訪は人気があり、今回は4つの班に分かれて、時差進行。1班で申込み、2班に割り当てられ、集合場所が見つからず遅れて3班になりました。集合場所は「プラザ三方よし」、五個荘町の近江商人の豪邸が保存されている観光地の近くです。

今回のルートは、結神社の登山口から、郭跡の多い尾根伝いに繖山頂上(432m)まで登り、下って本丸で昼食、さらに少し下って郭跡をみて、観音正寺へ出て、結神社へ帰るというものです。

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郭跡には、「平居丸」とか「池田丸」と重臣たちの名がついていましたが、いずれも頭に「伝」とついていて、確証はないようです。○どの郭も、他の城跡では、本丸に相当する広さで、それがいくつもあり、どのように使われていたかわからないようです。

石垣がたくさん残っていました。観音寺城のある繖山は岩山なので、郭の整備をするとき出てくる岩を利用したと考えられます。石垣を多用した城は、安土城以降に多く見られる中で、これはめずらしいことです。ただ、以後の石垣に比べ、垂直に近い立ち上がりや、幅が狭く上に建造物(物見やぐらなど)は、建てられなかっただろうことなど、違いが見られました。石垣というより、土塁に変わる石塁と言えるようです。

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立派な石垣があるのに、虎口の守りがゆるいのも、「?」でした。一番大きい石が使われていた「伝平井丸」は、正面に大口が空いた「平虎口」でした。「伝本丸」には「食い違い虎口」があるものの、後から増設された様子です。

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城というのは、本丸が中枢部分で、その周り(下)を一族の郭が固めているのが一般的だと思うが、観音寺城は、中枢部分が明確でない。本丸と言われる上にも郭が存在したりする。これも「?」

発掘調査では、郭から、陶磁器、茶器などが見つかり、山城で生活していた確証となった。それまでは、山城に生活の場があったという確証が得られてなかったらしい。

今回の、観音寺城の探訪は、これまでの山城とは違った面白さがあった。さらに、鎧武者登場というサービスまでついて、満足度もアップ。案内の県文化財保護課の方の説明もわかりやすかった。

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2016年3月 4日 (金)

【1614】神宮寺お水送り2016

東大寺お水取りに10日先駆けて、若狭神宮寺ではお水送りの神事があります。

わたしはこの「水と火の祭典」が好きで、たびたび出かけていますが、こんな素晴らしい神事を、近くにいても知らない人が多く、惜しいなあと思っていました。今年は友人2人を誘って出かけました。春まだ浅い山里の夜の寒さは、氷点下になることも当たり前、「汚れてもいい服で暖かくして来て」と念を押しました。

琵琶湖を半周して、峠を越すと若狭の国です。このあたりには、いくほんもの「鯖街道」と呼ばれる道が峠越えをしています。前日までの寒波が運んできた雪も、路面にはなくなって、ノーマルタイヤで通ることができました。(「冬用タイヤ着装」という看板がありました。)

神宮寺下の臨時駐車場に着いたのは、16時を過ぎたころでした。すでに満車状態でしたが、軽自動車の入るスペースを見つけとめることができました。

山門をくぐり、のどかな、味わい深い参道を歩きました。

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山伏すがたの修験者が前を行きます。神宮寺の坊に入られました。

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境内に結界が張られ、中央に護摩壇が用意されていますが、まだ人もまばらで、がらんとした雰囲気です。

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神宮寺という名が示すように、神社と寺院がいっしょになった、古い時代のお寺です。明治の神仏分離・廃仏毀釈をのりこえ、昔のままにあるそうです。お水送りの神事を守ってきた、「観音講」の方が話してくださいました。その日も、観音講の方たちは、最後の段取りに余念がありません。

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16時前になると、かがり火が焚かれ、提灯に灯が入りました。

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16時、そしてホラ貝の音が響き渡ると、修験者を先頭に、神事をつかさどる人たちが堂上します。

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堂内で行われる神事(修二会)は、灯りが消され、読経の声が聞こえる中、粛々と進められているようです。わたしたちは境内で、じっと待つだけ。

やがて真っ暗な堂の中に、小さな灯り。徐々に大きくなって、堂の中が真っ赤になる。

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巨大な火の塊が飛び出してくる。赤装束の僧が、回廊の端で、燃え盛る松明を持って振る。そして反対側でも。


YouTube: 若狭神宮寺修二会(お水送り)

その火は護摩壇に運ばれ、修験者が、斧、弓、剣で結界内の魔を払った後、大護摩に移される。修験者の般若心経と、ほら貝の鳴り響く中、護摩の火は、天も焦がせと燃え上がる。

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護摩の火は、大たいまつに移され、ほら貝に先導され、境内を出て「鵜の瀬」に向かう。その後に、二月堂に送られる「御香水」(清浄聖水)が運ばれる。さらに後ろには神事関係者の中松明、一般参加の手松明が続く。

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神宮寺から鵜の瀬まで約2km。数百メートルに及ぶ光の帯が、ゆっくりと進んでいく。都会のような人口の灯りはなく、太古からある火の灯りのみ。人と神が触れ合える時かもしれない。

鵜の瀬の鳥居をくぐると、河原に護摩壇があり、火が移される。

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真っ暗な川べりが、そこだけ昼のような明るさ。川面に松明の火が映える。読経と、ほら貝と、川の音が、溶け合って分かちがたい、。

護摩の最火勢の中、白装束の水師により、御香水は川の淵にそそがれ、送水神事が滞りなく終わる。残念なことに、この神事のクライマックスは、松明や篝火の煙の向こうになって、見ることができなかった。

直会までは見ず、山を下る。路面は凍結していて、風も冷たい。粕汁の振る舞いに、体がほっと和らぐのを感じる。おいしかった。駐車場までは。バスで帰る。以前は無料だったが、今回は200円也。松明も1000円から1500円にアップしていたなあ。

帰宅したのは、日付の変わる少し前だったが、夜更かしする値打ちのある、行事だと思う。