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歳時記

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2015年4月27日 (月)

【1529】深坂越え

深坂古道(深坂越え) 敦賀(越前)・塩津(滋賀)を結ぶ最短コース 
日程:2015-04-27 天候:快晴(夏日) メンバー:単独
行程:8号線沓掛スノーステーション(自転車)⇒JR塩津駅(電車)⇒新疋田⇒深坂越え⇒沓掛SS(自動車)⇒塩津駅

体調がいまいちだから、伊吹も霊山もおっくう。でも天気が良いから家でくすぶっていたくない。と、いうわけでハイキングが良かろうと、以前から懸案だった「深坂古道」を歩くことにした。

塩津街道から山を越えて敦賀へ出る道で、今の国道8号線とは少しずれている。JRの一駅に足りない区間で、その足りない区間(国道)を歩くのが嫌で知恵を絞った。それが最初に示した行程表になる。自転車の利用は、高いところから低いところへの移動とすることを第一に考えた。

(9:20)沓掛スノーステーションは、雪のない今は無人で、ゲート全開になっていたので、ここに車を置かせてもらった。乗せてきた自転車で塩津駅まで下る。下るのは楽チンだが、大型ダンプが来ると怖い。塩津駅に自転車を置き、下りの電車に乗った。P1110417

長いトンネルを出たと思ったら、新疋田駅。駅舎はログハウス風の無人駅で、中は「撮り鉄」さんの溜まり場みたい。壁に隙間なく電車の写真が貼ってある。駅前広場から国道161号に踏み出す。(10:10)P1110366

国道歩きはほんのわずかで、すぐに追分集落の入り口が見え、深坂古道の道案内がある。集落の中の道を通り抜けた、橋の手前に分岐がある。橋を渡らず川に沿って進み山に入る。P1110368

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気持ちの良い緑を楽しみながらゆくと、ワラビを取っている一行がいて、この人たちも深坂越えかなと思ったが、すぐに離れてしまった。マムシグサばかりかと思っていたら、ウラシマソウも見つけた。良く踏まれて歩きよいと思っていたが、水で流されているところもある。P1110376

紫式部の歌碑があった。
塩津山といふ道のいとしげきを 賤の男あやしきさまどもして「なおからき道なりや」といふを聞きて
知りぬらむゆききならす塩津山 世にふる道はからきものぞと(式部集)
輿にのって、えらい上から目線やなあ・・・と、賤の子孫感想。

45分ほど登ったところに休憩用の椅子が設置してあったので小休憩。谷越しの山にはまだ桜が残っている。歩いてきた道にも残っていて、散った花びらで道がまだらになっているところもあった。

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しばらく進んで、再び歌碑。これは万葉集から。万葉の時代からあった道だという証拠(?)ってわけ。

峠には、中部北陸自然歩道の道標と、深坂峠の説明板があった。深坂越えが、軍事的にも経済的にも重要だったという事が書かれていた。P1110384

峠で、福井県から滋賀県に入る。当然道が悪くなると予想していたが、軽トラが通れる道。どうやら林道らしい。荒れ地にテーブルがあるので不審に思ったら、林道から離れる矢印がその荒れ地に向いていた。ここからしばらくが、一番の難所かもしれない。刈り残された笹の根元が、道いっぱいにある。橋も朽ちかけている。林道ができて、歩かれなくなったせいだろうか。P1110388_2

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木の間に屋根が見えてきて、深坂地蔵堂。(11:20) 堂は閉まっていたが、手で引いてみると鍵はかかっていなかった。前に来たときは、バラの塩がたくさん供えられていたように思うが、今回はなかった。P1110391

深草地蔵堂より先は、参道として整備された道を下る。あまりにもきれいな道なので、この道であっているのか何度も地図を見た。P1110396_2

参道の終わるころ、深坂問屋跡の、石垣があった。かってはここに、荷受け問屋があって栄え、大きな屋敷があったのだろうと思われる。少し下のほうにも、やはり屋敷跡を示す石垣がたくさん残っていた。近代になって一時は、畑にもなったのではないだろうか。P1110400

問屋跡の先に分岐があり、右に行けば国道でバス停もあるが、そのまま直進。当然道は荒れている。「整備されて通れるようになった」と下調べの時読んだ記憶があるが、それ以前は通れないほどだったということか。

堰堤を越え、車が通れる道になると、自動車の音が聞こえ、間もなく沓掛SS近くの国道に出る。国道からの入り口にも、深坂古道の道標があった。(11:58)P1110414

沓掛SSで車に乗り、塩津駅で自転車を回収して帰路に着く。途中、塩津の道の駅「あぢかまの里」で弁当を食べた。

わずか2時間足らずの峠越えで、アクセス時間や、帰りの足の準備のほうが時間がかかってしまって、ちょっと不満が残った。
アクセスと言えば、塩津の藤ヶ崎トンネルの西の道路が完成し、私にとって初走行。琵琶湖の上も走って気持ちが良かった。

2015年2月22日 (日)

【1509】琵琶湖疏水と小関越え

今回の近江歴史探訪は、近江水の宝 「小関越えをゆく―琵琶湖疏水―」

「小関越えは、北国海道(西近江路)から別れて藤尾で東海道に合流する約5kmの道で、東海道を大関越えと呼ぶのに対する間道(脇道)としての名称です。京都からは大津の町中を通らずに北陸へ向かうための近道として利用されていました。
明治23年(1890)に完成した琵琶湖疏水は、この小関越えとほぼ同じルートを通っています。琵琶湖の水を運河や水車動力源、濯蹴用水・防火用水・飲料水などに利用するため、当時の技術力の粋を集めて建設された夢の多目的水路で、琵琶湖の恵みを積極的に活かす琵琶湖疏水はまさに水の宝といえます。」 (滋賀県文化財保護課の案内文より)

2015-02-21(土)晴れ
ポリープの手術で、一週間激しい運動をしないでくださいと言われていたけれど、退院翌日のこの催しには、ぜひとも参加したかった。散歩は激しい運動とは言わないわねと、都合の良い解釈で、参加した。

場所がわからないといけないからと、早めに出発。京阪浜大津駅を出ると、快晴の空の下、雪をかぶった比良の山々の美しさに目を奪われた。そのまま道路をまたぐ橋を渡ると、自然集合場所に出た。

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人気の催しで、募集翌日には定員に達したようで、友人も涙をのんだ一人だった。琵琶湖疏水に舟を運行させようという計画が、さらに関心を高めたのだろうか。15分の間隔を置いて2グループ、各30余名。わたしは、後行グループで、ガイド役は、大津市の市民団体「おやじのたまりば」のおじさま。

まず集合場所の広場が、大津城址であることから。関ヶ原の合戦で、京極秀高が三千の兵で、毛利一万五千の兵を足止めさせたことで有名な城。天守閣は一部彦根城に移築されて、今も残っている。Dscn3337

次いで、琵琶湖疏水の取り入れ口へ。取水のため砂浜に作られた築地と、水位観測所。築地の内側に、旧制三高からのヨット部の艇庫と、「琵琶湖周航の歌」の歌碑。Dscn3338

取水口と管理棟。琵琶湖疏水は、第一と第二の二つあるが、今回は主として第一疏水をめぐる。Dscn3348

疏水沿いに進むと、疏水に斜めに架かった橋。かって江若鉄道の軌道の後である。この道には大津絵のタイルがはめ込まれているらしいが、橋の上にはない。そのかわり、橋の欄干が大津絵をモチーフにしたデザインに。Dscn3350

大津絵橋から少し行くと、大津閘門があった。船の出入りなどに水量を調節したところ。日本人の手による最古の閘門。Dscn3357_2

冬季第一疏水は取水を中止しているので、水のない水路はなんだか味気ない。しかし水が入っても、さほど深くならないように思える。両側の細い通路は、船を曳くための人側が通るところだった。トンネルの中は、船頭がロープを手繰って進んだらしい。大津から京都まで、1時間半、反対向きは3時間かかったらしい。Dscn3361

三井寺が近くなって、東口洞門。扁額は伊藤博文。「氣象萬千(きしょうばんせん)」Dscn3363

洞門の隣の、三尾神社は三井寺の鎮守社だったので、文化財としても貴重なのだが、狛犬の代わりに兎がが珍しい。長良公園でトイレ休憩をして、いよいよ峠越え。

住宅の間の道をゆくと、道標。Dscn3369_5

峠までの山道は、勾配はあるものの、拡張された舗装道路。車の往来がかなりあり、今も利用されていることがわかる。峠にはお決まりの地蔵堂。といっても、平成に建てられたもの。その背後の山の中を、疏水が通っていて、測量標石も残っているとのこと。Dscn3373

峠から少し下って、車の道と分かれ、簡易舗装の小道に入る。峠道らしい雰囲気もわずかに感じられる。Dscn3377_6

第一竪抗。山の両側から掘り進むのでは時間がかかりすぎるので、竪穴を掘り、 両側に掘り進んだ場所。Dscn3379_2

街の中に出て、寂光寺で、堂の中の磨崖仏を拝観。往時、簡単な屋根の下で、峠をゆく人たちの信仰を集めていたのだろう。
かっては、山林か畑だったと思われるところが、すっかり住宅化し、疏水はその下を通っている。

西口洞門に到着。扁額は、山形有朋。「廓其有容(かくとしてそれかたちあり)」Dscn3388_3

水路の位置がひどく低いので、不思議に思ったが、琵琶湖の水位との関係だと説明を受けた。灌漑用水としての、今の利用されている取水口もあった。

諸羽トンネルは、JR湖西線ができたとき、山際にあった疏水をが付け替えられたもので、トンネルの手前に船溜まりも残っている。Dscn3392_3

疏水の通っていた後は公園となっていて、家族連れなどがくつろいでた。近くにあった案内地図の一部。山科駅と、疏水の位置がわかりやすかった。

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琵琶湖疏には、立派な桜が両側から枝を張っていた。あと一月ばかりすれば、さぞ見事な景観が広がるだろう。そんな時、舟でこの川を下るのもまた素晴らしいだろう。

2015年1月24日 (土)

【1503】息長陵

今日は3月上旬の気温だとか。本格的な山登りにはスタートが遅すぎるので、横山の反対側にある「息長陵」へ行ってみることにしました。

このあたり一帯は、中央に大きな勢力を持っていた、息長一族の本拠地ですから、横山にはたくさんの古墳が残っています。しかし宮内庁の管轄の陵はここだけです。近くなのに行ったことがなかったのが不思議なぐらいです。

山をぐるりと回る舗装道路は、車で行けば、10分もかかりませんが、歩いてそのルートをたどれば、往復で半日では足りなくなります。でも歩きには車の通らない近道があります。迂回しないで山を越えればいいわけです。自動車のなかった昔の人は、峠を越えて山向こうの人と交流したと言います。

長浜市側(琵琶湖側)林道入り口から少し登ると、送電線の監視路があります。この監視路を使って、稜線までほぼ直登。きつい登りを我慢すれば、あっという間に登れます。登りついた稜線からは、伊吹山とその裾野の田や家並みは見えますが、息長陵方面はさえぎられています。

横山の尾根を北に向かって進みました。すこしの間登って、あとはほとんど下り。尾根は、枯れ芒と笹と、落ち葉。雪が消えて今が一番歩きやすい。あまり通った跡もないと思ってましたが、張り出した枝が落とされたり、真新しいロープが張ってあったりして、整備してくれる人がいてくれるのだなあと思いました。

稜線道と峠道とが交わるところが、犬飼坂。(米原側では牛飼坂とよぶ) 長浜と山東を結ぶ大事な道だったと聞いています。この峠を米原市側(伊吹山側)に下ました。比較的広い道でしたが、山の出口近くで竹が倒れ通行不能。迂回して何とか通り抜けました。

地図によると、息長陵は山から出たあたりにあるはずと、あたりを見回すと、鳥居が見えました。雰囲気が奈良県で見る天皇陵に似ているので間違いないと行ってみました。

小さな陵でしたが、きれいに整備されてました。この地域の人たちが大切に守っておられるのを感じました。「敏達天皇皇后廣姫 息長陵 宮内庁」とありました。

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これで目的は達したのですが、さてどのルートで帰るかと迷いました。もう正午を過ぎているのに、弁当どころか、お茶もおやつもなしできてしまいました。一番早く帰れるルートはということで、先日訪ねた臥龍公園経由としました。

米原市と長浜市、隣り合っていますがその間の横山丘陵が長く伸びて、トンネル2つと、山の両脇の道が、両市をつないでいます。でも昔の人のように歩いて山越えして、隣町に行くのもよいものです。

2013年6月 5日 (水)

【1348】中山道--鳥居峠・奈良井宿

旅行会社の催しに参加。藪原から中山道鳥居峠を越えて奈良井宿までのハイキング。

キャンセル待ちで席をゲット。満員御礼ってところ。5月の室生古道に続く第2弾。さぞ同じ人がと思いきや、ほとんど違う顔ぶれ。男女比率は女性圧倒的。男性は夫婦で参加している人ばかり。平日だから平均年齢は多分60歳以上。

予定では藪原神社からとなっていたが、山の入口からスタート。すぐにカラマツの林に入り、オゾンいっぱいの涼しい道。300mほど進んだ分岐点の先から、石畳の道が続く。ここが一番標高差が大きい場所だが、スイッチバック方式だからさほどきつい登りではない。 
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測候所跡、円山公園ともに立ち寄らず、御嶽神社の前まで来てしまう。御嶽神社は立ち入り禁止になっていて、御嶽山は見られないし、円山公園にあるという芭蕉句碑も見られない。このあたり不満。
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御嶽神社から下ること500m、鳥居峠に着く。休憩所と水場があるが、ほかは特になし。休憩所の木々の切れ目から奈良井宿の街並みが眺められた。
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峠からの下りの方が、傾斜がきつく感じられる。それでも道がジグザグになっているので、負担は少ない。中の茶屋から山を出るまでにまた石畳。最後の急な石畳が終わると、奈良井の町がすぐそばに見える。
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奈良井宿に入る前に鎮神社にお参り。

奈良井宿は平日ということもあって静かで、古い宿場町の街並みを堪能できた。ここも電柱をすべて取り払ってあるので、すっきりした印象を受ける。奈良井駅近くで、大きな太鼓橋を渡ってバスの待つ駐車場へ着く。
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帰路、寝覚ノ床に立ち寄ったが、工事中で遠くから見るだけになってしまった。
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ハイキング地図(クリック拡大)Photo

2013年5月 8日 (水)

【1340】室生古道(門守峠越え)

旅行会社のウォーキングツアーに参加。
奈良県宇陀市、大野寺から室生寺までの古道(東海自然歩道) 所要時間2時間40分

11時前、大野寺門前で下車。宇陀川の岸で早めの昼食。Be

対岸には大野磨崖仏。Ma

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(11:30)大野寺前出発。15分後、舗装道路を右に入り、古道となる。緩やかな勾配、30分ごとの休憩。楽々進める。見事に花のない道。

やがて石畳の名残が現れる。歩きにくい。でもまあ勾配が緩いから。峠近くなって補修された石畳の道となる。
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(13:10) そして門守峠(標高520m) 国土地理院の地図では「門森峠」To

15分ほどの休憩ののち、下る。急な下りになっている。雨で石畳が濡れていれば相当危険のはず。乾いていてよかった。ストックのない人たちが、落ちている木の枝を杖代わりにしていたが、山の出口にはその杖が積み上げられていた。E

(13:35) 山を出て陶芸の森も前に出る。あとは下の案内板の東海自然歩道を進む。


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室生の集落は、花がいっぱいのきれいな家並みがあった。お城かと思うような石垣のある旧家も見られた






(13:55) 赤い橋を渡ると室生寺に到着。

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2013年4月 7日 (日)

【1326】木曽路--馬篭峠

南木曽駅を降りたとき、薄曇り。
駅を出て右に進むと桃介橋。その途中見つけた「酔いどれ」

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桃介は福沢桃介(福沢諭吉の娘婿・電力王) 「夜明け前」時代の木曽の苦悩ともいうべきか

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橋の向こうの山に見える白いものは山桜。

桃介橋から線路の反対側の中山道に出るには、ぐるっと大回りしないといけない。
三留野宿」の看板が見えるところまでバック。

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さあいよいよ中山道木曽路。まず目指すは妻籠宿

歩き始めて気づいたのは「木曽路は花の中」まず「」大木の枝垂れ桜、色薄い山桜など、行く先々で目を奪われる。それから「木蓮」白はもちろん紫木蓮も多い。辛夷もある。「三つ葉躑躅」のすけるような紫もきれいだ。「連翹の黄色も目を引く。足元に見をやると、「猩々袴」が盛りで、「碇草」まで見つけてしまった。

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さすがこのあたりは「木曽路観光」の中心地。道案内が豊富。
昔からの自然石に彫ったもの(あるいはそれらしく見せた現代作)や、中部北陸自然歩道(環境庁・長野県)としての案内、 観光協会や市町村が作ったものと種類はいろいろ。それでも中には五差路ぐらいになっていたり、角度が微妙にずれていたりして、進路を迷うところもあった。P1070315

「おほっ」と感心したのは「トイレ」。
山の中を歩くのだから、ちょっとコンビニで・・というわけにはいかない。インターネットでダウンロードした地図に、やたらとWCの表示が多いと思っていましたが、現地で実情を確認しました。山仕事の作業小屋かなという感じで、風景に溶け込んだおしゃれな公衆トイレです。使ってみなかったので、中の様子はわかりません。

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もう一つ、木曽路ならではの心遣い。「熊よけベル」です。

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山の中を歩くのだからと、わたしも「熊鈴」を2個も用意していましたが、雨具の下になってあまり役に立たず、このベルを大いに利用させていただきました。これなら1キロ四方に響くのでは?

以上がまず印象に残ったことです。

妻籠は観光客がいっぱい。外国人が半分ぐらい?その町並みは、タイムスリップしたようなというたとえが使われますが、「お見事」です。でも今回は「木曽路を歩く」が目的なので、通過するだけ。雨が降らないうちに少しでも先に進まなくてはと。

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それでも城跡ファンとしては、妻籠城址は見のがせないので、足を延ばしてきました。誰にも会いませんでした。

いよいよ今回の最大の目的「馬篭峠越え

大妻籠を出て、山の中の石畳の道

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とうとう雨が降り出して、まず傘でしのぐことにする。

車道に出て「雄滝、雌滝」の表示に寄り道をする。観光タクシーで回っている外国人とツーショット。

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また車道に戻ります。しばらく車道を歩いていると、雨がますますひどくなってきて、ザックカバーを出したついでに、完全防備。少々の雨は怖くない。馬篭方面からの団体らしい一群に会う。

大妻籠を出て約1時間、「一石栃番所跡」に到着。雨で昼食も歩きながらだったので、ここで休憩。カップ麺がおいしい。その何歩か先の茶店に入ればよかったと思ったのは後の祭り。

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再び山の中を歩き始めて20分ほどで、石畳が現れたと思ったら、「馬篭峠」 「峠の茶屋」は閉まっているし、その前は二車線の国道。ガックリ来ました。歩いてじゃないと来れない峠であって欲しかった・・・。ここから中津川市。

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再び「熊ベル」のある山の中へ。車道を何度か横切って、人家の間も通り、えっ!また登るの?と階段を登りきった時、真っ先に目に飛び込んできたのは「恵那山

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この先、馬篭宿の上の入り口まで、工事中。観光客を誘導する新しい道が付けられる気配です。

馬篭宿はというと、雨は止んできていましたが、妻籠より観光客はすくなめ。カッパを着たまま店に寄るのもためらわれ、またまた通過。石畳の坂道が滑りやすく、ちっとも気が抜けない。馬篭宿の下の枡形部分

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P1070391岐阜県に入ってからだと思うのですが、道の舗装が中山道だけ、変えてありました。おかげで道に迷う心配が少なくなりました。
子規の句碑がある夕照のスポットを過ぎて、新茶屋には「是より北木曽路」の碑があります。

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いよいよ十曲峠です。

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峠といっても下りばかりです。この道が一番難儀しました。雨の後で滑るのです。何度も転びそうになり、早く終わらないかと思ったほどです。草鞋履きならどうなんだろうと思いました。

十曲峠を出ると「落合宿」 です。予定ではこのあたりが時間的・体力的に限界と予想し、バスで中津川まで向かうつもりでした。と・こ・ろ・が、バスが10分ほど前に出た後で、1時間以上待たなければなりません。やむなく歩き出したものの、後から思えばなんとバカなコースを選んだことか。土地の人に聞いてのコースだったけれど、今の人は車だから遠い近いの観念が違うのですね。唯一、「ここが本道、そしてこちらが近道」と教えてくれた人がいましたが。結局1時間ほど歩いて中津川駅に到着。駅のホームが見えてきたときの嬉しさはもう・・・・。

とにかく停まっていた出発間際の電車に乗って、名古屋駅に着いたらもう大変なことになっていました。途中の駅で大雨の様子に驚いていましたが、運休が出ていたとは。木曽路は静かな花の中にあったのに。

無事帰宅しました。驚いたことに、財布を取り出したのは、乗り換えの岐阜駅で、自動販売機の飲み物を買う時が最初で最後。五平餅も、栗きんとんも、駅蕎麦さえ食べる余裕がない旅路でした。

2012年5月19日 (土)

【1240】三国岳・烏帽子岳(鈴鹿)

2012年5月18日 山友と二人

関ヶ原経由で鞍掛け登山口に向かう。雨で出発を30分遅らすが、まだ降っていて先ほどは雷まで。しかし天気予報ではもう晴れのはず。黄金大橋で365を離れ、多賀方面の道で山に入る。

コグルミ谷登山口では、数人のパーティが雨具をつけて出発会するところだった。トンネル手前の駐車場には、もう10台近くの車があった。幸い雨が止んできたので、スパッツをつけただけで出発。山の上のほうは雲に覆われていて見えない。(9:20)

峠の地蔵で、御池岳と道を分けて北に向かう。風が強く雲は立ちこめたまま。950

焼尾岳への分岐で少し迷う。まっすぐに進みそうになったが、矢印が左を差していた。地図とコンパスを見ると確かに矢印方向が三国岳の方向。ちょうど現れた二人ずれからも、進行方向を確認。1010

1020

一旦下ってまた急登。三国岳最高点到着。頂上はもう少し先。(11:00)1100

三国岳山頂から少しくだって烏帽子岳へ向かう尾根道は、入り口がわかりにくい。まっすぐ行きそうになるが、青いペンキのしるしを見つけて、入る。急な下り、岩場をすぎて、少しの間平坦な広尾根を行く。その後は急な登り下りの繰り返し。面白いけれどなかなかハードな道だ。

イワカガミの群生が見られるが、花はすくないHana3 シャクナゲの大木もも群生しているが、これも時期遅しで、数も少なく元気がない。Hana2 そのかわりミツバツツジがちょうど見ごろ。新緑の中の赤い花はとても鮮やか。Hana1

登山地図では三国―烏帽子のコース時間は1時間50分。烏帽子のはるか手前で12時を回ってしまった。烏帽子の手前にまだひとつのピークがある。引き返すべきか迷いつつ先に進む。ようやく烏帽子の尾根に入って、迷いを捨てて頂上を目指す。1300

手前のピークで頂上かと思ったが何も表示がないので進むと、前方が開けた頂上に出た。女性三人組が下山するところだった。(13:10)

ようやく青空が見えてきた中で、昼食。前方に御池岳の雄大な姿が見える。記念写真を撮るのもそこそこに、帰路に着く。地図のコースタイムで計算すると休憩なしでも、16時15分になる計算。夏の日は長いとはいえちょっと心配。1320

帰路はかなりの強行軍。というか同行者の健脚に遅れがちになってしまう。必死でついていく。途中間違えそうなおころが2,3か所あったが、無事通過。鞍掛登山口に着いたのは16時ちょうど。まだ数台の自動車残っていた。それにしてもたくさんの車があったが、すべて御池岳への登山者であったようだ。この一日で出会ったのは3グループ7人だけだった。

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2011年4月 7日 (木)

【958】垣篭越

しばらく前から、「峠」に惹かれている。××峠、△△越、呼び名は違うけれど、山の鞍部を越えて向こう側に降りるとき、そのもっとも高いところが「峠」になる。まさに字の表すとおりだと思う。Photo_3峠が好きなのは 、その先にある世界にワクワクすることと、苦しい山場を越したという安堵感だと思う。

峠にもいろいろある。旧中山道の碓氷峠は、標高1195m、さぞかし難所であっただろうと、数字だけででも往時が偲ばれる。今回の峠は、わが里山を越える峠だから、標高200mのささやかな峠となる。

琵琶湖側(長浜市)から、伊吹山側(米原市)へ出てみた。今は使われなくなった峠道は、水の通路となって石がゴロゴロしている上、ぬかるんでいた。あまりにも歩きにくいので、すこし高いところに踏み跡を見つけて移動した。時期的にすこし早いが、ここはヤマザクラの大木が並んでいて、見ごたえのあるところだ。

標高差100mほどなので、すぐに峠に到着。かっては峠の地蔵が祭られていたのだろうが、いまお堂だけが残っている。(多分里に移されお守りされているのだろう)  峠付近の花↓(ショウジョウバカマ・スミレ・フキノトウ) Photo

峠より米原市側は、軽トラックなら通れるかもしれないほど広い道がついていた。ただ、雪のため道が荒れている所もあった。

山道を出たところに、この峠についての説明書があったので、その写真を載せてこの峠の説明に代えよう。Photo_2

2011年4月 5日 (火)

【957】栃ノ木峠

今日は「清明」、まさに言葉どおり「光が踊るような」暖かな天候でした。

すこし前から歩いている「北陸道」の続き、福井県につながるあたりを歩きたいと思っていた。全部歩いて滋賀件から福井県へ行くのがいいのだけれど、これはよほど準備をしないといけないので、とりあえず今日は下見のつもりで出かけた。

木の本地蔵の前に、「木之本札の辻跡」の石柱が立っていた。そこから北に200mばかり行くと、馬市の跡が残っている。山内一豊が、良馬を得て手柄を立てたというあの馬市である。車の対向が難しいような細い、いかにも旧街道という道を通って、余呉町は向かう。

余呉町の中も旧街道を通りたかったが、大方は国道365号で済ませてしまった。敦賀のほうへ向かうJRと別れ、ついで北陸自動車道と分かれて、北上する。

柳ヶ瀬集落を出たあと、山の中のきれいな道を進むと「椿坂」。ここは以前すごい急坂、急カーブで、車が登れないのではないかと怖かった記憶があるが、今はかなり勾配が緩和されている。江戸時代には、ほぼまっすぐに登ったため、大八車が登れず、分解してこの坂を越えたと聞いたことがある。

椿坂峠を越えると、一度下りになる。かってこの道を通った時は、これでもう福井県かと間違ったことがあるが、この先にまだ「中ノ河内」集落がある。さらに進むと、右手に入浴施設、次いで左手に「余呉高原スキー場」が現れる。このあたりまで来ると、雪の量がすごい。おかげでまだスキーができるらしく、リフトが動いていた。

スキー場のすぐ先が、滋賀、福井の県境となる。そしてその県境上に、通行止めのバリケード。道はすっかり空いているけれど、雪崩の危険があるために、通行が止められているらしい。次の宿場町「今庄」まで行くつもりだったが、ここまでとなった。
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車を降りて、福井県側をすこし散策した。立山の「大谷ウォーク」とまではいかないけれど、3mほどの雪の壁が残っていた。
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「栃ノ木峠」という名は、このあたりにトチノキがたくさん生えていたからといわれる。天然記念物となっているトチノキがあると聞いていたので、辺りを見回すと、まさしくこれ!と思われる大木が目に付いた。
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この県境は、太平洋と日本海の分水嶺で、県境の下の谷川は、福井川に流れていた。すこし戻ると「淀川の源」の碑が建っている。高時川の源流で、やがてこの水が琵琶湖にはいり、淀川へ流れ出る。

  源流の碑に清明の光ゲ踊る  あおめ